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概要 以前、Wikipediaの『大富豪』の記事は内容が盛り盛りでした。 現在はWikipediaの規定に従って内容が大幅に削減されてしまいましたが、そのまま消えてしまうのももったいないのでこちらに転載します。 転載元: https //ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%AF%8C%E8%B1%AA oldid=22206944 大富豪(だいふごう)、もしくは大貧民(だいひんみん)とは、トランプを使ったゲームの一つである。 概要 大富豪とは、カードをプレイヤーにすべて配り、手持ちのカードを順番に場に出して早く手札を無くすことを競うゲームである。一般的に4~6人程度でプレイするのに適しているが、7人以上や3人でもプレイ自体は可能である。2人では後述の2人用ルールを用いることで遊ぶことが可能である。1人ではゲームが成立しない。1ゲームでの順位が次ゲーム開始時の有利不利に影響する点が特徴で、勝者をより有利にするゲーム性から「大富豪」という名称がついた。 ローカルルール(地方ルール、独自にアレンジされたルール)が数多く存在することも大きな特徴である。そういったルールでは、敗者は一旦負け出すとなかなか逆転できないという欠点を補正する方向に働くものが多い。 様々な呼称 このゲームは大富豪、大貧民、ド貧民、まれに階級闘争や人生ゲームなどとも呼ばれる。 ローカルルール(後述)が様々あるように、ゲーム自体にも様々な呼称がある。関東は「大貧民」、関西では「大富豪」と呼ぶ傾向、およびローカルルールの採用が少ない(無い)ものを「大貧民」、ローカルルールの採用が多いものを「大富豪」と呼ぶ傾向が見られる。 本項における各用語の呼称 上記のようにこのゲームは、ゲーム自体にも様々な呼称があり、同様にあらゆる用語について地方毎に異なる場合がある。本項では特に必要でない限り便宜上代表的な一つの呼称に統一して記述している。 本ゲーム名 - 大富豪 階級 - 最高階級から順に大富豪、富豪、平民、貧民、大貧民(地方毎の様々な階級は階級を参照)。 またローカルルールを解説する各節は、タイトルによっては便宜上代表的な1つの呼称のみを載せているものもあるが、決してそれが正式名称というわけでは無く、本文中に複数記載しているので参照のこと。 基本ルール 以下に記述するものはあくまで基本ルールであり、公式ルールなどというわけではない。8切りや革命などかなり一般に知られているルールも有るが、ここでは単純にゲームの進め方のみ記述する。 全てのカードをプレイヤー全員に均等に配る。 ゲームは親から始める。最初の親が手札から最初のカードを出し、以降順番に次のプレイヤーがカードを出し重ねていく。 カードには強さがあり、弱い順に3、4~10、J、Q、K、A、2とされる。ジョーカーの扱いについては#ジョーカーを参照。 次のプレイヤーは、場にある現在のカードよりも強いカードしか出すことができない(例:場には9が出ている→10以上の強さのカードしか出せない)。 出せるカードがない時、もしくは戦略上出したくない時(例:手札にある強いカードはゲーム後半まで温存しておきたい、など)にはパスが許される。 他のプレイヤー全員がパスし、再び場にあるカードを出したプレイヤーまで順番が回ってきたらそのプレイヤーは親になる。場にあるカードは流され(横にのけられ)親は手札から好きなカードが出せる。 親は複数枚の同じ数字のカードを合わせて出すことができる(例:4を2枚出す、5を3枚出すなど)。複数枚カードが出ている場合、プレイヤーはその数字より強いカードを場と同数枚組みにして出さなければならない(例:5が2枚出ている→6以上の強さのカードを2枚出さなければならない)。 3~7を繰り返し、一番早く手札が無くなった(上がった)プレイヤーが大富豪となり、以降上がった順に富豪、平民、貧民、大貧民と階級がつく。参加人数に応じて階級の種類は増減する。詳しくは#階級を参照。 第2ゲーム以降は、カードが全て配られゲームが開始する前に、大貧民と大富豪、貧民と富豪のプレイヤーがそれぞれ手札の中で最も強いカードと最も弱いカードを交換する。(これを税金、献上、搾取などとも呼ぶ。)詳しくは#カード交換に関するルールを参照。 最も低い階級の人を親として次のゲームが始まる。 階級 2ゲーム目以降にプレイヤーに与えられる階級である。大富豪、平民、大貧民などを使うのが最も一般的。 4人、または5人 最上位 - 大富豪、JTなど 2位 - 富豪 3位 -平民 4位 - 貧民 5位 - 大貧民(ど貧民)、争上遊、打娘娘、乞食 6人以上 上位 - 超富豪、殿上人、神、教皇、皇帝、王様、ゲイツなど 下位 - 超貧民、乞食、奴隷、農奴、騎士、家畜、ホームレス、肉奴隷、肉便器、肉離れ、ゴラムなど 特殊な階級を使わず、6人以上増えた人数の分だけ、間の平民を増やす場合もあり、その場合が一般的でもある。 9人の場合の例として 教皇、皇帝、大富豪、富豪、平民、貧民、大貧民、奴隷、家畜 などを使用する。 パロディ版の階級 会社 会長、社長、重役、専務、常務、部長、課長、係長、主任、平社員、ダメ社員、バイト、トイレ掃除 「税金」を「接待」や「お中元(お歳暮)」などと言う事がある。 ヤクザ 組長、若頭、舎弟、若い衆、鉄砲玉 「税金」を「上納金」などと言う事がある。 警察 警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長、巡査長、巡査、おまわりさん 「税金」を「裏金」などと言う事がある。 他にも軍隊の階級(将軍、大佐…一般兵、捕虜)、大学病院の序列(学長、医学部長、病院長、教授、准教授、講師、助手、研修医、医学生、モルモット)などを扱うこともある。最下位の者(通常の大貧民にあたる)は他の下位に比べ、かなり屈辱的な称号にされることが多い。 ローカルルール ローカルルールの概要 このゲームは比較的歴史が浅いためか、地方によって多数のアレンジされたルールが存在する。一般にこれをローカルルール、地方ルールと呼ぶ。このため、出身地方が違う者が集まってこのゲームを行う場合や、ルールの好き嫌いがある場合は、お互い最初にルールを認識し合う必要がある。 ローカルルールの多くは、カード交換を行うといったゲームの性格上、どうしても同一人物が勝ち続けることを抑制する意味を持ったものである。ローカルルールとは言っても、かなり広い地域に広まり一般化してきているルールもある。 ローカルルール(以下、単にルールと称する)は以下の各節、各箇条の中(もしくは本項中に載っていないもの)から任意に取捨選択される。 ゲームの進行方法に関するルール 配るカードの枚数 ジョーカーを含んで配るか、含まずに配るかに関するルール。ジョーカーを含む場合、ジョーカーに特定の意味を持たせるルールが一般的。本項のジョーカーを参照。 ジョーカーを含まず52枚配る。 ジョーカーを1枚含み53枚配る。 ジョーカーを2枚含み54枚配る。 プレイヤーが多い場合にどういった配り方をするかに関するルール。 一人当たりのカード枚数が少なくなるため、2~16組のトランプを混ぜる。 最初に配るカードを大富豪〜大貧民にかけて順に階段状に少なくして配る「差別配り」を行う。 複数組使用する場合のジョーカーに関するルール。 ジョーカーをさらに多く含めて配る。 この時、ジョーカー同士も絵柄や色などで区別し、別の意味合いを持たすこともある。 配っている時の端数 プレイヤーの人数によって、端数が生じた場合の処理に関するルール。 配っている時の順番のまま、配り続ける。 端数が出た場合、任意のプレイヤーに1枚ずつ渡す。 (第2ゲーム以降)階級の上のプレイヤーから1枚ずつ渡す。 第1ゲームの親 第1ゲーム開始時、誰が親になるかに関するルール。第2ゲーム以降は、手札に弱いカードが偏りやすい大貧民を親とするルールが一般的。 ディーラー(カードを配る人)の左隣のプレイヤーを親とする。 ダイヤの3を持っているプレイヤーを親とする。この時、 親が最初に出す1枚・組はダイヤの3を含んでなければいけない。 親はダイヤの3を持っている事を申告すれば、何のカードから出してもよい。 ダイヤの3ではなく、他のスートの3を持っているプレイヤーを親とする。 プレイヤー全員でじゃんけんし、勝った人を親とする。 第2ゲーム以降の開始時も、大貧民からではなくダイヤの3を持っているプレイヤーを親とする。 カードを出す順番 カードを出す順番に関するルール。 最初に座った席順の時計回りにカードを出していく。 最初に座った席順の反時計回りにカードを出していく。 (2ゲーム目以降)大貧民、貧民、…、大富豪を階級順にカードを出していく。 一度パスをしたら、次に場が流れて新しいカードから始まるまではカードを出すことができない。戦略的パスではなく、それより強いカードを持っていないと見なされる。 また、その他カードの持つ特殊効果として、次のプレイヤーをとばすスキップや、順番が逆になるリバースが採用されることもある。 プレイヤーが上がった時 プレイヤーが上がったときに出されたカードに関するルール。 出されたカードを、そのまま場のカードとして、次のプレイヤーから通常通りプレイし続ける。 出されたカードを、無条件に流し次のプレイヤーが親となる。 大富豪以外のプレイヤーが上がった時、大富豪は無条件で大貧民に降格する都落ちというルールもある。 都落ち 都落ちとは、前ゲームで大富豪となったプレイヤーが次のゲームで再び大富豪になれなかった場合、無条件で大貧民に降格するルールである。 大富豪が、都落ちによって大貧民への転落が決定した時に関するルールがある。 大貧民への転落は決定したが、上がるまで続けられる。 そのプレイヤーは即脱落し、その回のゲームから抜ける。その時、そのプレイヤーの手札を、 全て切り、他のプレイヤーにランダムに配る。 全て他のプレイヤーに任意に配る。 全て捨て札と混ぜてしまう。 また、都落ちに関連したルールの亜種も存在する。 大貧民が最初に上がると、その時点でゲームが終了しプレイヤーの地位が逆転し、次のゲームとなる。つまり大貧民が大富豪に、貧民が富豪に、富豪が貧民に、大富豪が大貧民になる。下克上や大革命と呼ばれる。 革命が起こった時点で大富豪の都落ちが決定する。 ただし、大富豪が直後に革命返しを起こせば、これを免れるとする。 大富豪の座についたプレイヤーの名にちなんでそのゲームを「○○政権」や「○○王朝」と呼び、都落ちを防ぎ続けたプレイヤーの防衛回数で最終的なゲームの勝敗を決めることもある。 上がる時の制限に違反しながら上がった時、 都落ちが優先され、大富豪が大貧民に、違反したプレイヤーが貧民になる。 都落ちは無効とされ、違反したプレイヤーが大貧民となる。 大貧民が二重に存在し、貧民がいなくなる。 単独のカードに効果を持たせるルール ジョーカー ジョーカーを含めてゲームを行う場合、ジョーカーの扱いをどのようにするかに関するルール。 ジョーカーは無条件に最強のカードとする。ただし他のカードの代わりにはならない。 ジョーカーを他の数字として組み合わせて2枚以上で使用(つまりワイルドカードとして使用)できる。ただし無条件に最強なカードとしては扱えない。 ジョーカーは無条件に最強であり、かつワイルドカードとしても使用できる(上記2種を併せたもの。このルールがかなり一般的になっている)。 また、ジョーカーを最強のカードとして扱っていても、それを特別に上回ることが出来るスペ3というルールがある。ジョーカーを複数枚同時に出すことで更に特殊な効果を起こすルールもある。 スペ3 スペ3とは、ジョーカーを無条件に最強であるカードとして扱う場合、さらにスペードの3のみジョーカーより強いとするルールである。 呼称スペードの3、スペ3、スペ3返し このルールに関して、以下のような派生・亜種が存在する。 トランプを2束以上使う場合、複数枚のジョーカーより、ジョーカーと同数枚のスペードの3が強いとする。 スペードの3ではなく他のスートの3がジョーカーより強いとする。 3を3枚同時に出すことが単独のジョーカーより強いとする。33返し・砂嵐と呼ばれる。 またジョーカーを上回り上記のカードが場に出された場合、場の処理をどうするかに関するルールがある。 無条件で場が流れ、そのカードを出したプレイヤーが親になる。 そのまま次のプレイヤーに移り、現在の場より強いカードを通常通り出していく(例:ジョーカーを上回ってスペードの3が場に出された→通常の3と同じように4以上の強さのカードを出す)。 8切り 8切りとは、8を出したプレイヤーが親になれるとするルールである。コンピュータゲームやオンラインゲームなどでも広く採用されており、かなり知名度の高いルールである。 呼称8切り(はちぎり、はちきり、やぎり、やつぎり)、8切り刃(やぎりば)、8流し(はちながし) このルールに関して、以下のような派生・亜種が存在する。 8が単独で場に出た時に限らず、8を含む複数枚のカードが場に出た時(複数枚の8や、階段に8が含まれる場合)はすべて8切りとする。 無条件で場が流れ、さらに任意の上がっていないプレイヤーに、手札から任意のカードを渡す。8切りの渡しと呼ばれる。矢切の渡しにかけたものである。 8切りが起きた直後、以降のプレイヤーは以下の手段で8切りを阻止することができる。8切り返しと呼ばれる。ただし、このルールは8切り独自のルールの有効性を無くしてしまうため、あまり一般的ではない。 8に対して、8を出す(または複数枚の8、もしくは8を含む組み合わせに対して、同数枚の8、もしくは8を含む組み合わせを出す)。 8に対して、4を2枚同時に出す。 8に対して、5を2枚同時に出す。 8切りを阻止した場合、場が流れ、後からカードを出したプレイヤーが親になる。 8切りを阻止した場合、通常通り、上記のカードが場に出されたものとして順次続ける。 また、8切りの効果を、8の代わりに他のカードに持たせるというルールがある。 代わりに9に持たせる。9切り(くぎり)と呼ばれる。 代わりにJに持たせる。カードを出すときに「スペア」と宣言することで有効になる。 代わりにQに持たせる。Q切りと呼ばれる。 代わりに4に持たせるルール。4切り(よぎり)と呼ばれる。 ハートのKにも持たせるルール。キングオブハートと呼ばれる。 これらの時、8自体にも8切りの効果を持たせる場合もある。 イレブンバック イレブンバックとは、J(11)が単独で場に出る事で、次に場が流れるまでの間一時的に革命となる(つまり出せるのは10以下となる)ルールである。 呼称イレブンバック、イレバ 11バック、11革命、11下がり、11下げ ジャックリバース、ジャックダウン、ジャックリターン、ジャックリ、ジャック返し、ジャックバック、バックJ、ジャッカル革命 小革命、プチ革命など このルールに関して、以下のような派生・亜種が存在する。 Jが単独で場に出た時に限らず、Jを含む複数枚のカードが場に出た時(複数枚のJや、階段にJが含まれる場合)はすべてイレブンバックとする。 Jが偶数枚出たときは互いに効果を相殺しあい、一時的な革命にならないとする。 Jが出たとき、出したプレイヤーがイレブンバックするかしないかを選べる。 Jが出たとき、出したプレイヤーからプレイヤーの回りが逆になる。 このとき、「出したプレイヤーが一時的な革命にするか、一時的な革命にせず回りだけ逆にするかを選べる」というものもある。 カードの組み合わせ方に関するルール 革命 革命とは、同じ数字のカードを4枚同時に出すと、カードの強さが逆になる(すなわち2が一番弱く3が一番強いカードになる)ルールである。ゲーム中では革命が起きる、革命を起こす、革命中である(効果が及んでいる)などと表現する。コンピュータゲームやオンラインゲームなどでも広く採用されており、かなり知名度の高いルールであるため、ここから更にローカルルールの派生・亜種が存在する。 革命が起きた場合、その効果がいつまで続くのかに関するルールには以下がある。 革命中に、同じ数字のカードを4枚同時に出すとカードの強さが平常に戻る。革命返しと呼ぶ。 革命返しが起きない限り、革命の効果はそのゲームが終了するまで続く(一般的に採用される)。 革命返しが起きない限り、革命の効果は次ゲーム以降も続く。 同じ数字のカードを4枚同時に出したとき、出したプレイヤーが革命するかしないかを選べる。 革命を起こせる組み合わせに関するルールには以下がある。 同じ数字のカードを4枚同時に出す代わりに、4枚以上の階段を出すことでも革命を起こせる。階段革命と呼ばれる。 3を3枚出すことで革命が起こせる。 9を3枚出すことで革命が起こせる。クーデターと呼ばれる。また、クーデターは6を3枚出すことで鎮圧できる(革命返し)というルールもある。 ジョーカーを2枚出すことで革命を起こせる。 Jを1枚出すことで一時的に革命となる。詳しくはイレブンバックを参照。 特に限定した組み合わせを出すことで、更に特殊な効果を持たせるルールには以下がある。 同じ数字のカード5枚(同じ数字のカード4枚とジョーカー1枚、または同じ数字のカード3枚とジョーカー2枚)を出すことで、以降4枚ではなく5枚出されない限り、革命の効果が持続する。大革命と呼ばれる。または、ゲーム終了後も革命が起きたままとするルールもある。 このとき、次ゲームからは革命時に出したカードの数字が最強になり、その次の数字が最弱になるというルールもある。 同じ数字のカード6枚(同じ数字のカード4枚とジョーカー2枚)を出すことで、そのゲームが終わるまで革命の効果が持続するルール。核爆弾と呼ばれる。 また、革命が起きた場合、場の処理をどうするかに関するルールには以下がある。 革命が起きたら、無条件で場が流れ、革命を起こしたプレイヤーが親になる。 場が流れず次のプレイヤーに移り、現在の場より強いカード4枚を出し革命返しが起こせる。この時、 場が流れるまで強さは逆にならない(例:10が4枚出された場合、次のプレイヤーはJ、Q、K、A、2のいずれかを4枚出せる)。 次のプレイヤーに移った時点で強さは逆になる(例:10が4枚出された場合、次のプレイヤーは9〜3のいずれかを4枚出せる)。 革命を起こせるプレイヤー、状況を制限するルールには以下がある。 大富豪は革命を起こせる組み合わせ(主に同じ数字4枚)を出してはいけない。 大富豪が革命を起こせる組み合わせを出しても、革命は起きない。 このルールの採用時、革命返しだけは行えるとする場合もある。 ジョーカーが含まれていると4枚同時に出しても革命としない。 革命が起こせるのは同じ数字4枚に限り、5枚以上では革命としない。 革命や革命返しが起きたとき、特殊な効果・状況を付加するルールには以下がある。 革命中のジョーカー、スペ3、8切り、イレブンバックの扱いに関して。 強さが逆転してもジョーカーは最強のままであるとする(一般的に採用される)。 革命中は、スペードの3ではなく、スペードの2がジョーカーより強いとする。 革命中は、8切りの機能を8ではなく、6に持たせる。6切り、6流しと呼ばれる。又、10にするルールもある。その場合は10切りなどと呼ばれる。 革命中は、イレブンバックの機能をJではなく、4、6、あるいは7に持たせる。シックスアップやセブンアップなどと呼ばれる。 革命が起きた時、カードの強さが逆にならない代わりに、右隣のプレイヤーと手札を交換するルール。 革命返しが起きたとき、最初に革命をしたプレイヤーが無条件で大貧民になる。仕返しと呼ばれる。 階段 階段とは、同じスートの続きの数字のカード(4・5・6やQ・K・A・2など)を同時に出しても良いとするルールである。基本的に、階段を出し始めることが出来るのは親のみである(例:3→4→5・6・7とは出せない)。 呼称階段、連番、シークエンス、シーケンス 階段として出せる枚数に関するルールには以下がある。 3枚以上あれば同時に出すことができる(例:4・5・6や、9・10・J)。 2枚以上あれば同時に出すことができる(あまりに簡単になってしまうため一般的ではない)。 4枚以上あれば同時に出すことができる。 4枚、あるいは5枚以上の階段を出すことで革命を起こせる。階段革命と呼ばれる。 基本的に、場に階段が出たら、以降は場が流れるまで階段しか出せない。この時、どのように階段を出すかに関するルールには以下がある。 一番弱いカードより1つでも強いカードなら重複可能とする(例:3・4・5→「4・5・6」「5・6・7」以降のいずれの階段も出せる)。 一番強いカードより更に強いカードしか出せないとする(例:3・4・5→「6・7・8」以降の階段しか出せない)。 その数字に連続するカードしか出せないルール(例:3・4・5→6・7・8しか出せない)。 階段に8切り、イレブンバックに関係するカードが含まれている場合の扱いに関するルールには以下がある。 階段であっても、その効果を有効とする。 階段の場合は、その効果を無効とする。 また、同じスートの続きの数字以外の出し方を階段とするルールがある。こういったルールが採用された場合、基本的に以降のプレイヤーも同様の出し方しか出来ない。 同じ数字2枚ずつでも階段として出せる(「4・4・5・5」など)。二列階段、ダブル階段、一盃口などと呼ばれる。 同じスートの2・4・6というように数字が1つとびで連続している場合でも階段として出せる。とび階段と呼ばれる。 4つの連続した数字を、全て違うスートで組み合わせることで階段として出せる。これは、これより強い数字で組まれた同役でのみ返せる。エンペラー、レインボーなどと呼ばれる。 派生として、この役が出ると革命が起こるルールや、無条件に場が流れるルールもある。 カードの出し方を制限するルール しばり しばりとは、同じスートが続けて出されることによって、その後に出せるカードをそのスートに限定する(例:ハートの3→ハートの5→次のプレイヤーはハートしか出せない)ルールである。この効果は場が流れるまで続く。 呼称しばり、ロックスート、ロック、カギ、二枚縛り しばりが起こせる状況に関するルールには以下がある。 途中で同じスートが続けて出た場合もしばりとする。途中しばりと呼ばれる(例:スペードの4→ダイヤの6→ダイヤの9→次のプレイヤーはダイヤしか出せない)。 途中しばりを適用する際のみ、3枚続けて出ることがしばりの条件となるルールもある。 2枚以上のカードがセットで出されている時、 ひとつのスートのしばりを有効にする(例:クラブとスペード→スペードとハート→次のプレイヤーはスペードを含ませなければいけない)。片しばと呼ばれる。 全スート同時のしばりを有効にする。組み合わせが異なる場合しばりにはならない(例:クラブとスペード→クラブとスペード→次のプレイヤーはクラブとスペードで組み合わせなければいけない)。完しばと呼ばれる。 同一スートに限り、場より1つ弱いカードを出せる逆しばというルールもある。 場が流れるまで逆しばが続くとする(例:ハートの7→ハートの6が出せる→次のプレイヤーはハートの5しか出せない)。 一度逆しばでカードが出たら、以降は通常のしばりとなる(例:ハートの7→ハートの6が出せる→次のプレイヤーはハートの8以上が出せる)。 場より1つ弱いカードが出たら場が流れるとする。下切りと呼ばれる。 しばりに違反した場合のルールには以下がある。 場が「しばり」になっていることに気付かずに、その他のスートのカードを出した場合、その時点で無条件で大貧民となる。 また、親がカードを出すといきなりしばりになるルール(スートフォロー)もあるが、本来の大富豪とかなり異なったゲームとなってしまうため一般的ではない。 色縛り・数縛り 色縛り・数縛りとは、しばりから派生したルールである。主に、同じスートが続かなくとも、カードの出し方を制限するルールである。 同じ色が連続して出たとき、同じ色しか出せなくなる。色縛り、色しばなどと呼ばれる(例:スペードの3→クラブの5→次のプレイヤーはスペードかクラブしか出せない)。 スートに関係なく、数字が1ずつ増加して続けて出されると、それ以降次の数のカードしか出せなくなる(例:4→5→次のプレイヤーは6しか出せない)。数縛り、数字ロック、からみと呼ばれる。また、数縛りのことを階段と呼ぶ場合もある。 数字が1ずつ増加する代わりに、最初に場に出たカードの倍数が続けて出されると、それ以降その倍数のカードしか出せなくなる(例:3→6→次のプレイヤーは9しか出せない)。ナベしばなどとも呼ばれる。 同じスートで、数字が1ずつ増加して続けて出されると、それ以降同じスートの次の数のカードしか出せなくなる(例:ハートの4→ハートの5→次のプレイヤーはハートの6しか出せない)。激しば、ゼロしば、鎖、芋づる、連しばなどと呼ばれる。 上がる時の制限 ルールによっては上がる時に出してはいけないカード、またはカードの組み合わせが規定されることがある。この制限に違反した場合には、対象プレイヤーは大貧民となる。口頭でルールを確認しあう場合は例えば、「2上がり禁止」、「ジョーカー上がり禁止」などと言われることが多い。 上がるときに出してはいけないとされるカードの例には以下がある。 その時のゲームの状況において最も強い数字のカード(通常時の2、革命時の3など)。およびそのカードを含む組み合わせ。 ジョーカー。ただし、ジョーカーをワイルドカードとして他のカードと同時に出した場合、他のカードと同等に扱われあがり禁止札とは見なさないルールもある。 スペ3ルール適用時のスペードの3など、ジョーカーより強いとされるカード。 8切りルール適用時の8など、場を強制的に流すカード、およびそのカードを含む組み合わせ。 革命ルール適用時、革命を起こせるカードの組み合わせ。 イレブンバックルール適用時のJなど、一時的に強さを逆転できるカード、およびそのカードを含む組み合わせ。 その他、採用ルールに応じた特殊効果を持つカード、およびそのカードを含む組み合わせ。 これらの制限は採用ルールに応じて取捨選択される。その時々の参加者や地方によっては自分の思わぬカードが制限されている事も有るため、ゲーム開始前に制限が有るか確認しあうのが望ましい。もちろん、上がる時に出すカードに関して全く制限の無いルールで遊ぶ事も可能である。 その他 カードの持つ特殊効果 一般的ではないが、一部の地方、組織などで採用されるローカルルールである。ある特定のカードや組み合わせに効果を持たせるものである。これらは上がるときに出してはいけないとされる事が多い(上がる時の制限を参照)。 単独の数字 ある数字のカードが単独で出されたときに起きる効果。 ハートの3 - 場に2が出た場合ハートの3で切れる。場がハート以外で縛られている場合は出せない。また革命時は3に対してハートの2で切れる。 死者蘇生 - 4を出すことで4の直前に出されたカードを4の枚数分手札に加えることができる。強制であるルールと任意であるルールがあるが、強制の場合は必然的に4ではあがれない。 偶数制限 - 4が出ると、場が流れるまで4、6、8、10、Q、2、ジョーカーしか出せない。但し奇数制限と偶数制限が同時に出た場合(4、5、6の階段などの場合)奇数制限と偶数制限は無効になる。 ジョーカー請求 - 4が出たら、次のプレイヤーはジョーカーを持っていた場合、ジョーカーを出さなければいけない(例:2枚の4→ジョーカーともう1枚)。複数組が作れないなどでジョーカーを出せない場合、ジョーカーを捨ててパスとなる。次のプレイヤーがジョーカーを持っていない場合、この効果はなくなる。 奇数制限 - 5が出ると、場が流れるまで3、5、7、9、J、K、A、ジョーカーしか出せない。 スキップ - 5、6、9、10、Q、Kが単独、またはそれを含むカードが出されると、次のプレイヤーは飛ばされる。複数枚出したときはその分多くの人数が飛ばされる。UNOのスキップとほぼ同意。このとき、スキップだけで一周以上した場合、場が流れるルールもある。「5/9/10/Kとばし(とび)」や「Qバーン」などとも呼ばれ地方によって異なる(通常は5)。紅しょうがの10(テン)ぷら - 赤色のスートの10が出されると、次のプレイヤーは飛ばされる。 2桁封じ - 6を単独、あるいは複数枚出すことによってJ、Q、Kが出せなくなる。 リバース - 6、9、あるいはQが単独、またはそれを含むカードが出されると、プレイヤーの順番が逆回りになる。再度リバースを起こすカードが出されるまで継続するルールと、場が流れるまでしか継続しないルールがある。6回しとも呼ばれる。 強見せ・弱見せ - 6、9を出すことでそれぞれ、次のプレイヤーの手札の最強カード・最弱カードを、出したカードの枚数分皆に見えるようにする。皆に見えるようにしたカードは出すまで見えるようにしておかなければならない。 7捨て - 7(5や10とするルールもある)を出した枚数だけ手札を捨てることができるという。この場合、捨てたカードであがること(7捨て上がり)は反則となっている場合もある。対象となる数字によって、5捨て、10捨てなどと名称が変わる。 7渡し - 7または7を含む組み合わせの時に、7の枚数分だけ次の人にカードを渡せる。カードを渡す相手を指名したりするルールもある。 9もらい(6もらい) - 9(6とするルールもある)を出したプレイヤーは任意で好きな他のプレイヤーを指名し、欲しいカードを宣言する。指名されたプレイヤーは指定のカードを持っていた場合、そのカードを伏せて渡さなければならない。指定されたカードを持っていなかったら、別なカードを一枚選び、そのプレイヤーに伏せて渡す。(任意のプレイヤーからばば抜きのように引くというルールもある) 10フリ - 10を出した後はどんなカードでも出せる。 10つけ - 10または10を含むカードを出すと、10の枚数と同数の任意のカードを捨てることができる。 しばり解除 - しばり状態で10(ルールによっては9)を出すとしばりが解除される。ただし、10で初めてしばりが成立したものはしばり状態になる。 11回し - ハートのJを含む階段を出すと、プレイヤーの手札を時計回りに交換する。 Qボンバー - Qを出したプレイヤーは、好きな数字を出したQの枚数分宣言する。宣言された数字のカードを持っているプレイヤーは、その数字のカードをすべて捨てる。 スペ3返し - 2の1枚をスペードの3で返せる。このルール適用時は、通常のスペ3は採用しない。 同一の数字を複数枚 同一の数字のカードが複数枚出されたときに起きる効果。 サントリージョッキ生 - 3を3枚出すことで、プレイヤー全員が手札を3枚捨てることができる。 砂嵐 - 3枚の3はジョーカーの後に限らず、どんな時にも出せて場を流すことが出来る。革命時はこの効力を3枚の2に持たせるとするルールもある。 産業革命 - 3を4枚でできる革命。通常の革命をしない代わりに、他のプレイヤーから一枚ずつカードを取ることができる。 名誉革命 - 4を4枚でできる革命。通常の革命をしない代わりに、大富豪を大貧民にし、他のプレイヤーの階級を1つずつ上げることができる。 ヘビー4ダブル - #スペ3が成立した時、4のペアをもっていれば出して、流す事が出来る。「ヘビ四(よん)」や「ヘビし」などとも呼ばれる。 終末 - 6を3枚出す(大貧民が最初に革命で上がる)ことで、捨て山を全員に配る。 混沌革命 - ハート以外の6が3枚出たとき、プレイヤー全員の黒いスートのカードを全て捨てる。さらに革命状態にする。由来はタイプムーンのMELTY BLOODというゲームから。「カオス革命」とも呼ばれる。 救急車 - 9を2枚出すことで、8切りと同じようにその場を流すことが出来る。もしくは、その場に出されたカードをすべて次(任意)のプレイヤーの手札に加えさせる。 オークション - 10を3枚出すことで、オークションが始まる。ジョーカーを持っているプレイヤーが売り手、他のプレイヤーが買い手となり、オークション形式でジョーカーを売買する。 ダブルキング - 2枚のKをいっしょに出すとK以下の強さのカードのいずれかのカードとして扱うことができる。 テポドン - 自分が3を持ちながら、スペードのAとジョーカーのペアを出したとき、2を持ってるプレイヤーは、自分の持ってる3と相手が持ってる2を1枚交換する。誰も2を持っていなかった時や、2を持っているプレイヤーが、2のみしかカードを持っていない時は交換しない。サンツー、かえルートなどとも呼ばれる。 π流し - 7が1枚出ているとき(しばり状態の場合を除く)に、2を2枚出して場を流せる。πの近似値が22/7であることに由来する。 複数の数字 複数の数字のカードを特定の枚数組み合わせて出すことで起きる効果。語呂合わせなども多く見られる。 サイクロン - いずれかのスートの3、A(1)、9、6を一枚ずつを出すと、全てのプレイヤーの手札を混ぜて配りなおす。 サザンクロス - いずれかのスートの3、3、9、6を出すことによって革命が起こせる。 平安京流し・平安京切り -同じスートの7、9、4を持っていると、いつでもどんな時に出すことができ、出してすぐ流し親となれる。 死になさい革命 - スペードの4、2、7、3、A(1)を一枚ずつ出すことで革命が起こせる。また、この方法で革命した場合、出したプレイヤーは一人指名することができ、その指定したプレイヤーは無条件で大貧民になる。 皆殺し革命 - スペードの3、7、5、6、4を出すことによって革命が起こせる。また、この方法で革命した場合、次のゲームのみ全員から革命を起こした人物へ、最強のカードを1枚ずつ渡す。 世露死苦革命 - いずれかのスートの4、6、4、9を同時に出すことで革命が起こせる。 粉々(5757)革命 - 同色の5を2枚、7を2枚(例えばスペード、クラブの5と7、ハートとダイヤの5と7)を出しだ時点で無条件で大富豪になれる。また、他のプレイヤーの階級を自由に指定することができる。 最終革命 -(トランプを4組以上使用する場合)ダイヤの4を4枚出すと、全員の階級をリセットする事ができる。一度ゲームを終了し、最終革命を起こしたプレイヤーがカードを切り、1枚ずつプレイヤーに配り、そのカードの強さにより階級を決定する(強弱は大富豪ルールに従う)。その時、4を引いたプレイヤーは無条件で大貧民となる。同じ数字が配られ引き分けになった場合は再度行う。 5ピック - 5を複数枚、または5を含むカードを出すことで任意のプレイヤーの手札を見ることが出来る。 7渡し - 7を複数枚、または7を含むカードを出すと、7の枚数と同数の任意のカードをまだあがっていないプレイヤーに渡せる。次のプレイヤーのみ、または前のプレイヤーのみに渡せるルールと、任意のプレイヤーに渡せるルールがある。 7ニョッキ - 7を複数枚、または7を含むカードを出すと、出したプレイヤー以外がニョッキと叫ばなくてはならない。もっとも遅いプレイヤー(判定者は出した人)は次の自分の番が来た際に無条件にパスとなる。7の枚数分パスしなければいけない。 ラッキーサック -(トランプを3組以上使用する場合)ハートの7を3枚出す事で、ギャンブルを行う。自分以外に2人指名し、相手の手札を見ながら最強のカードを1枚ずつ選別し、そこに自分の手札を1枚加え裏向きにしてシャッフルする。ラッキーサックを起こしたプレイヤーがその中から1枚選ぶ。その時、そのカードが自分の出したカードだった場合、そのカード3枚を手札に加え、自分の手札から任意の2枚のカードを2人のプレイヤーに渡すことができる。選んだカードがそれ以外だった場合は、それぞれのプレイヤーの手札に戻しゲームを再開する。 9とり - 9を複数枚、または9を含むカードを出すと、それまでに場に出て流れたカードの中で9の枚数と同数の任意のカードを手札に加えることができる。 モノポリー - 3、4、5、6、7、8、9、10、J、Q、K、A、2の階段をジョーカーを使わずに出せば無条件で大富豪になれる。 バナナアイス - 同じ色(スートは違っても良い)の6枚で数字の並びを作ると、「バナナアイス」と宣言して場に出すことができる。 ザ・ポット - クラブの「2、3、4」か「3、4、5」を出すと無条件で場を流せるが、持っているAを捨てなければならない。 キラの裁き - スペードの3、7、5、6、4を同時に出したとき、プレイヤーを2人選び大貧民と貧民にする。ただし、フルネームで指名しなくてはいけない。由来はDEATH NOTEから。 その他 王への信頼 - J、Q、K、A、ジョーカーを一枚ずつ出すことで、それ以降は革命が禁止となるルール。それ以前に行われた革命の効力を失わせることはできない。 悪政 - 3、5、6、9、ジョーカーを一枚ずつ出すことで、そのターン中は自分の両隣りのプレイヤーの手札がオープンになるルール。そのターンが終わるまでしか継続できない。 クロゾディア - カードが配られた時点でカードの色がすべて黒なら(スートは関係ない)その時点で上がりとなる(ジョーカーが含まれていても可)。すべて赤の場合はアカゾディアと呼ばれる。 ボラ協力 - クラブの6を出したときに、出したプレイヤーは「ボラ」と宣言する。その時次のプレイヤーは、クラブの7を出すと「ボラ成立」。出せない場合は不成立となる。成立したらその次のプレイヤーは大貧民となる。そして大貧民となったプレイヤーのカードの、最強のカードとクラブの6を出したプレイヤーの最弱のカードを交換する。その次に強いカードを、クラブの7を出したプレイヤーの最弱のカードと交換する。 はむかいの掟 - おなじスートのA、5、10、ジョーカーをだすと、それ以降はKが最弱となる。また、3が最強になる。つまり、弱い順にK、4〜10、J、Q、A、2、ジョーカー、3となる。 巫女革命 - 正確には「夢想天生 ~楽園の素敵な巫女~」。1ターン内に8回ラリーがつづくと、親は捨て札を好きなように配る。(任意)二回は起きない。東方緋想天というゲームから来ている。 五寸釘 - 5を一枚で出したとき、「ごっすん」というと、つぎは5しか出せなくなり、「ごっすん」という。3回目に5を出したら、「ごすんくぎ~」といい、すきなひと(5を出した人以外)を大貧民にする。イオシスの「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」から来ている。 悪あがき - 大貧民以外かつ残り手札が1枚の人が2人以上いたら、大貧民はその人数分カードを捨てることができる。2回は行えない。 カード一揆 - 大貧民が3連続で親となったら、大富豪はカード交換時に手札の最強カードを3枚大貧民にあげなくてはいけない。 クイーンのリストカット - 大富豪が親の時にスペード以外のスートのQを出すと、スペードのQを持っているプレイヤーは大貧民となり、同時に強制的に場が流れる。 階級に関するルール 8人以上でゲームを行う場合、「二軍制」を敷く場合がある。この時、1ゲーム終了毎に2人(まれに1人)入れ替え、1軍の貧民・大貧民が2軍の大富豪・富豪に、2軍の大富豪・富豪が1軍の貧民・大貧民になる。 都落ちが適用されている場合、1軍で都落ちとなった場合は結果的に2軍の大貧民まで落ちることとなる。 12人以上で行う場合には「三軍制」となる場合もある。 乞食階級を用いたルール。 5人以上でゲームをする場合、大貧民より更に下の階級として「乞食」を置くルール。乞食には手札は配られず、ゲーム開始時(大富豪、富豪の手札交換後)に他のプレイヤーから任意のカードを数枚分けてもらい、他のプレイヤーと同じ枚数になるようにする(例:5人の場合、大富豪・富豪から3枚ずつ、貧民・大貧民から2枚ずつ計10枚を分けてもらう)。難民とも呼ばれる。 大貧民に2回続けてなった場合、「乞食」になり、カードを献上する枚数をさらに増やす、というルールもある。 大富豪に関するルール。 大富豪が一定数連続で勝った場合、大富豪が好きなルールを一つ追加または規制することができる、「構造改革」というルールもある(例:革命状態スタート、8切り無し、2枚出し無し、階段無しなど)この状態の大富豪を「ブルジョワ」と呼ぶ。 常に大富豪がルールを追加するルール、常に大貧民がルールを追加するルールもある。 大富豪が2連勝、3連勝と階級を防衛すると、大貧民と交換できるカードが2枚から3枚、4枚と増えていく。相続税とも呼ばれる。 カード交換に関するルール 第2ゲーム以降のカード交換で低い階級のプレイヤーが高い階級のプレイヤーとカードを交換することを税金、献上、搾取などとも呼ぶ。 カード交換の枚数を、大富豪・大貧民間が2枚、富豪・貧民間が1枚とする。 カード交換の枚数を、大富豪・大貧民間が5枚、富豪・貧民間が3枚とする。 カード交換の枚数を、n人でk位・(n+1-k)位間が(4k-2n-2)枚とする。 カード交換を、一般の場合と逆に行う(本来の税金のあり方にあたる)。 低階級側の交換に関するルール。 ジョーカーを優先的に交換する。 ジョーカーを除く最強のカードを交換する(ジョーカーは手札にとっておける)。 大富豪・富豪は、大貧民・貧民が渡すカードを任意に指定できる(当該のカードを大貧民・貧民が持っている時のみ)。 カード交換時に大貧民などが最強のカードを大富豪などに渡していないことが判明した場合(例えばジョーカーを持っているのに渡さなかった等)、その人は大貧民になり、次回はプラス1枚交換しなければならないルール。脱税と呼ばれる。ただし、脱税が気付かれなければセーフというルールもある。 高階級側の交換に関するルール。 大富豪は大貧民に2枚、富豪は貧民に1枚カードを渡す。この時、 大富豪・富豪が渡すカードは手札の中で最も弱い数字のカード(スペードの3などに関わらず)とする。 大富豪・富豪が渡すカードはそのカードの強さに関わらず任意のカードで良いとする。 カード交換に関して、特殊な状況でのみ行われるルール。 ゲームの初めに大貧民がJ以上のカードを一枚も持っていない場合、大富豪と大貧民の手札を全て入れ替える。天変地異と呼ばれる。 その他のバリエーション ダウト - ダウ富豪とも呼ばれる。親が出したカード以外は全て裏向きに出すルール。別ゲームのダウトと同様に、ダウトの声がかかったら裏にしているカードを開けて確認し、今まで出たカードを嘘をついたもしくはダウト宣言に失敗したものが引き取る。縛りは全てなし、またスートがほぼ関係ないなど、一般の大富豪とは非常に異なったゲームとなり、またプレイ時間も長くなる。オプションとして「親が出すカードも裏向きに出す」「クラブ全部抜き」「表カードは回収しない」「128の宣言は無敵」(当然そのようなカードは存在せず、要するにダウト要求ができる)「出すカードの表裏は任意」などがある。 ドボン - 自分の持っている手札と誰かが場に出したカードの合計が一致した場合に、“ドボン”宣言と共に手札全てを場に出し、上がることができる。ドボンされた(場に出した)プレイヤーが無条件で大貧民に、ドボンしたプレイヤーが無条件で大富豪になることができる。またドボンされた場合、されたプレイヤーや、その他のプレイヤーもドボン出来る状態だとドボン返しといってドボンしたプレイヤーを大貧民にすることができる。 UNO富豪 - 一人分の枚数を五枚前後で配り、余りを真ん中に山札として置く。始め方・ゲームの進め方はは普通の大富豪と同じだが、パスの時に任意で山札から一枚引くことができる(そのとき引いたカードを出すこともできる)。誰かが上がった時は皆強制的に山札から一枚引かなければならない。 ばば富豪 - 始め方・ゲームの進め方はは普通の大富豪と同じだが、ばば抜きのように、パスの時に一つ前の番の人から一枚引かなければならない(そのとき引いたカードを出すこともできる)。(カードを出す前に必ず引くというものもある。) 2人用ルール 通常ルールでは2人でゲームをやっても相手プレイヤーのカードが読めるためゲームがつまらない。そのため2人用ルールがある。2人用ルールでは最初に配るカードが異なる。 カードは、3、4、5、J、Q、K、A、2とジョーカーを使用する。 カードを切り、最初の7枚を伏せて場に置き、残りを配る。 あとは基本ルールに、ローカルルールを交えるなどしてゲームを進める。 または、手札を7枚や15枚などの枚数に限定して配るという遊び方もある。
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ウィキペディア・ヴォルスング・サガ 正田崇作品@ウィキにおける爪牙たちによる擬似創造。発現は求道型。その詠唱の元ネタはDies iraeで自らの終焉を求め、神咒神威神楽では戦友である天魔・夜刀(藤井蓮)の味方となった鋼鉄の腕ことゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンの創造『人世界・終焉変生』である。 能力は、『触れただけで厨二化する拳の獲得 』である。限定的な擬似創造であるため、当ウィキ内において住人たちの絆が最高潮に高まったときにしか発現しない幻の創造である。 元となった渇望は「眠っていた厨二心を蘇らせたい」「自身のコメントを神(正田卿)に届かせたい」。 新たなレギオンを随時吸収し、正田ウィキを盛り上げていくという創造である。もっとも『人世界・終焉変生』と違い、人によっては激しく嫌悪する可能性もあるので撃つのが難しい創造である(ていうかどこで撃つ・・・)。 詠唱 wikiよ、wikiのフォローこそが唯一の救い -- 名無しさん (2012-06-28 21 47 48) この 妄想に穢れ 蝕まれた心臓が動きを止め 忌まわしき 常識も 世間の目も 跡形もなく消え去るように -- 名無しさん (2012-06-28 22 14 24) この開いたコメント 癒えぬ厨二を見るがいい -- 名無しさん (2012-06-29 00 54 26) 滴り落ちる妄想の産物を 全身に巡る厨二の毒を コメを書け 妄想を晒せ 深く 深く 神まで届けと -- 名無しさん (2012-06-29 12 04 55) さあ、正田卿のレギオンよ -- 名無しさん (2012-06-29 12 24 46) wikiにそのコメントもろとも投稿すれば、至高のwikiは自ずからその上に照り輝いて降りるだろう -- 名無しさん (2012-06-29 12 33 01) Briah――Wikipedia Volsunga Saga-- 名無しさん (2012-06-29 13 46 08) 記事出来るの早すぎだろwwww -- 名無しさん (2012-06-30 09 45 49) 昨日本家で作られてから一時間くらいで作りました -- 正田卿のレギオン (2012-06-30 09 50 36) 初めて参加した大喜利がこうして乗ってるとなんか嬉しいw -- 名無しさん (2012-06-30 11 53 25) そういやシュライバーのやつもあったような…? -- 名無しさん (2012-07-06 15 44 22) ↑あった気がする。完成したのに速すぎて編集がついてこれてないんじゃない? -- 名無しさん (2012-07-06 22 53 01) さすがシュライバーだな -- 名無しさん (2012-07-19 07 38 13) 名前 コメント
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http //en.wikipedia.org/wiki/Human_zoo 英文wikipedia Human Zoo Human zoo From Wikipedia, the free encyclopedia Jump to navigation, search imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 An ad for a "Peoples Show" (Volkerschau) in Stuttgart (Germany), 1928 シュトットガルト「人間展覧」の広告ポスター、1928 Human zoos (also called "ethnological expositions" or "Negro Villages") were 19th and 20th century public exhibits of human beings, usually in a "natural" or "primitive" state. The displays often emphasized the cultural differences between Western and non-European peoples. Ethnographic zoos were often predicated on unilinealism, scientific racism, and a version of Social Darwinism. A number of them placed indigenous people (particularly Africans) in a continuum somewhere between the great apes and human beings of European descent. For this reason, ethnographic zoos have since been criticized as highly degrading and racist. 人間動物園(もしくは、「民族学的博覧会」とか「黒人村」と呼ばれる)は、19世紀と20世紀になされた人間の公開展示のことで、通常は、「自然のまま」とか「原始のまま」状態の展示を指します。 展示はしばしば、西洋人と非ヨーロッパ人との間の民族文化の相違を強調していました。 民族博物学的な動物園はしばしば、「単一系統主義」で叙述される科学的人種差別と、社会ダーウィン主義の類型の一つでした。 それらの多くは、ヨーロッパ人の血統と大型類人猿との間をつなぐものとして、先住民(特にアフリカ人)を位置付けていました。 こうしたことから、民族博物学的な動物園は、その後、非常に下劣で人種差別的だとして批評されてきました。 英文wikipedia Human ZooFirst human zoos 最初の人間動物園 1870s to World War II 1870年代から第2次大戦まで Legacy of human zoos 人間動物園の遺産 See also References Bibliography and films External links First human zoos 最初の人間動物園 A caricature of Saartjie Baartman, called the Hottentot Venus. Born to a Khoisan family, she was displayed in London in the early 19th century.In the Western Hemisphere, one of the earliest-known zoos, that of Montezuma in Mexico, consisted not only of a vast collection of animals, but also exhibited unusual human beings, for example, dwarves, albinos and hunchbacks. [1] Saartjie Baartman の戯画は、ホッテントットビーナスと呼ばれました。 Khoisan家に生まれた彼女は、19世紀の初期にロンドンで展示されました。 最初に知られた動物園の一つである「西半球」は、メキシコのモンテスマ動物展示園でしたが、幅広い動物コレクションのみならず通常ならざる人間、例えば、小人、アルビノ、および猫背などを含んでいました。 One of the first modern public human exhibitions was P.T. Barnum s exhibition of Joice Heth on February 25, 1835[2] and, subsequently, the Siamese twins Chang and Eng Bunker. These exhibitions were common in freak shows. However, the notion of the human curiosity has a history at least as long as colonialism. For instance, Columbus brought indigenous Americans from his voyages in the New World to the Spanish court in 1493.[3] Another famous example was that of Saartjie Baartman of the Namaqua, often referred to as the Hottentot Venus, who was displayed in London and France until her death in 1815. During the 1850s, Maximo and Bartola, two microcephalic children from Mexico, were exhibited in the US and Europe under the names "Aztec Children" and "Aztec Lilliputians" [4]. However, human zoos would become common only in the 1870s in the midst of the New Imperialism period. 近代最初の人間展示は、Joice Heth による1835年2月25日のP.T. Barnum の展示、続いて、シャム双生児チャンとエングの展示です。これらは「見世物(freak shows)」の中では一般的なものでした。とはいえ、この人間に対する好奇心というものは、少なくとも植民地主義より長い歴史を有します。例えば1493年、コロンブスは新世界の航海の帰還に当って、アメリカインディアンをスペイン宮廷に連れてきました。もう一つの有名な事例は、ナマクワ(Namaqua 南アフリカ・ケープタウンの北ナミビアとの国境付近に位置する)の Saartjie Baartmanという女性で、しばしば Hottentot Venus として語られ、1815年に彼女が死ぬまで、ロンドンとフランスで展示されました。1850年代を通しては、メキシコからの小頭症の2人の子供Maximo と Bartola が「アステカ族の子」または「アステカ族リリパットの住民」として、アメリカとヨーロッパで展示されました。しかし人間動物園(「見世物(freak shows)」ではない)は、新帝国主義時代の中心である1870年代において、ようやく一般的なものになりました。 1870s to World War II 1870年代から第2次大戦まで Exhibitions of exotic populations became popular in various countries in the 1870s. Human zoos could be found in Hamburg, Antwerp, Barcelona, London, Milan, New York, and Warsaw with 200,000 to 300,000 visitors attending each exhibition. In Germany, Carl Hagenbeck, a merchant in wild animals and future entrepreneur of many European zoos, decided in 1874 to exhibit Samoan and Sami people as "purely natural" populations. In 1876, he sent a collaborator to the Egyptian Sudan to bring back some wild beasts and Nubians. The Nubian exhibit was very successful in Europe and toured Paris, London, and Berlin. He also dispatched an agent to Labrador to secure a number of "Esquimaux" (Inuit) from the settlement of Hopedale; these Inuit were exhibited in his Hamburg Tierpark. エキゾチックな人間の展示は1870年代になると、様々な国で人気を博しました。 人間動物園は、ハンブルク、アントワープ、バルセロナ、ロンドン、ミラノ、ニューヨーク、およびワルシャワで見られ、それぞれ20万から30万人の来園者がありました。 ドイツでは、野生動物商人であり多くのヨーロッパの動物園の企画プロデューサ―でもあったカール・ハーゲンベックが、1874年に、「純粋に自然な」人間としてサモア人とサミ人を展示すると決めました。 1876年に彼は、野獣とヌビア人を連れてくるようにと、共同研究者エジプトのスーダンに派遣しました。 ヌビア人の展示はヨーロッパ中で大成功となり、パリ、ロンドン、およびベルリンを巡業しました。 また彼は、ホープデール(カナダ)の植民地から多くの"エスキモー"(イヌイット)を確保するためにエージェントをラブラドル(カナダ)に急派しました。 これらのイヌイットは、彼のハンブルクTierparkで展示されました。 Geoffroy de Saint-Hilaire, director of the Jardin d acclimatation, decided in 1877 to organize two ethnological spectacles that presented Nubians and Inuit. That year, the audience of the Jardin d acclimatation doubled to one million. Between 1877 and 1912, approximately thirty ethnological exhibitions were presented at the Jardin zoologique d acclimatation. ジャルダン d acclimatation の社長であるジョフロア・de セイント-ヒレアは、1877年に、ヌビア人とイヌイットを紹介する2つの巨大展示を組織すると決めました。 その年に、ジャルダンd acclimatationの観客数は100万にまで倍増しました。 1877年から1912年までの間に、約30回の民族学的な展示がジャルダンzoologique d acclimatationでは開催されました。 Both the 1878 and the 1889 Parisian World s Fair presented a Negro Village (village negre). Visited by 28 million people, the 1889 World s Fair displayed 400 indigenous people as the major attraction. The 1900 World s Fair presented the famous diorama living in Madagascar, while the Colonial Exhibitions in Marseilles (1906 and 1922) and in Paris (1907 and 1931) also displayed human beings in cages, often nude or semi-nude.[6] The 1931 exhibition in Paris was so successful that 34 million people attended it in six months, while a smaller counter-exhibition entitled The Truth on the Colonies, organized by the Communist Party, attracted very few visitors---in the first room, it recalled Albert Londres and Andre Gide s critics of forced labour in the colonies. Nomadic Senegalese Villages were also presented. 1878と1889年の両方のパリ万国博覧会では、「黒人村」が出現しました。 2800万人もの観客が集まった1889年の万博では、主要なアトラクションとして400人の先住民を展示しました。 1900年の万博では、マダカスカルをライブに再現した有名なジオラマが出現し、マルセイユ(1906と1922)とパリ(1907と1931)の植民地博では、ケージの中に人間が展示され、それは、しばしば全裸もしくは半裸でした。1931年のパリでの博覧会は大成功で、6ヶ月で3400万人もの観客を集めましたが、その一方で共産党が組織した「植民地の真実」と題する小さな反論展示があり、第一幕として、アルベール・ロンドルとアンドレ・ジイドによる植民地での労働の強制に対する批評を呼び起こしました。遊牧民的なセネガルの村も現れました。 Native people of Suriname were displayed in the International Colonial and Export Exhibition in Amsterdam held behind the Rijksmuseum in 1883. 1883年に、アムステルダムの Rijksmuseum の後背地で開催された国際植民地・貿易博覧会では、スリナムの原住民が展示されました。 Similar human displays had been seen at the 1901 Pan-American Exposition [7] and at the 1893 World s Columbian Exposition, where Little Egypt performed bellydance, and where the photographs Charles Dudley Arnold and Harlow Higginbotham took depreciative photos, presenting indigenous people as catalogue of "types," along with sarcastic legends [8]. 同様の人間展示は、1901年の全米博覧会と1893年の世界コロンビア博覧会で行われ、リトル・エジプトではベリーダンスが実演され、チャールズ・ダドリー・アーノルドとハーローHigginbotham が撮影した蔑視写真は、「見本」カタログとして先住民を紹介し、嫌悪すべき伝説となりました。 To increase the number of visitors, the Cincinnati zoo invited one hundred Sioux Native Americans to establish a village at the site in 1896. The Sioux lived at the zoo for three months [9]. 1896年、シンシナティ動物園は訪問者数を増加させるために、100人のスー族インディアンを招いて敷地内に村を立てさせました。 スー族は3カ月動物園に住みました。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 "Idaho Building," a demonstration building for the 1893 Chicago World s Fair designed by architect Kirtland Cutter. 「アイダホ・ビル」、Kirtland Cutter設計の 1893年シカゴ世界博の展示館 In 1904, Apaches, Igorots (from the Philippines) and the famous Ota Benga were displayed, dubbed as "primitive", at the Saint Louis World Fair. The USA had just acquired, following the Spanish-American War, new territories such as Guam, the Philippines, and Puerto Rico, allowing them to "display" some of the native inhabitants [10]. According to the Rev. Sequoyah Ade, 1904年には、アパッチ、イゴロト人(フィリピンからの)、および有名な Ota Benga がサン・ルイ世界博で展示され、「原始人」と名づけられました。アメリカ・スペイン戦争に続いて米国はちょうどグアムや、フィリピンや、プエルトリコなどの新しい領土を取得したところで、彼らに土着の住居を「表示すること」を許したのです。 Sequoyahアデ師によると、 To further illustrate the indignities heaped upon the Philippine people following their eventual loss to the Americans, the United States made the Philippine campaign the centrepoint of the 1904 World s Fair held that year in St. Louis, MI [sic]. In what was enthusiastically termed a "parade of evolutionary progress," visitors could inspect the "primitives" that represented the counterbalance to "Civilisation" justifying Kipling s poem "The White Man s Burden". Pygmies from New Guinea and Africa, who were later displayed in the Primate section of the Bronx Zoo, were paraded next to American Indians such as Apache warrior Geronimo, who sold his autograph. But the main draw was the Philippine exhibit complete with full size replicas of Indigenous living quarters erected to exhibit the inherent backwardness of the Philippine people. The purpose was to highlight both the "civilising" influence of American rule and the economic potential of the island chains natural resources on the heels of the Philippine-America War. It was, reportedly, the largest specific Aboriginal exhibit displayed in the exposition. As one pleased visitor commented, the human zoo exhibit displayed "the race narrative of odd peoples who mark time while the world advances, and of savages made, by American methods, into civilized workers."[11] 結果としてアメリカ人より劣るということに基づいてフィリピン人についての山盛りの侮辱を例証するために、合衆国は、フィリピン・キャンペーンを、その年に開催された1904年のセントルイス(MI原文のまま)エキスポの中心地で行いました。 「進化的前進のパレード」と熱狂的に銘打たれたその展示では、「文明人」との対比を代表する「原始人」がキップリングの詩「白人の責務」を実証していることを、観客は確かめることができたのです。後にブロンクス動物園の霊長類部で展示されたニューギニアとアフリカからのピグミーは、自筆を販売するアパッチ戦士ジェロニモなどのインディアンの横に並んで展示されました。しかし呼び物の中心は、フィリピン人展示が、先住民住居のフルサイズレプリカとともにあって、フィリピンの人々の固有の後進性を完璧に示すことでした。その目的は、アメリカ・フィリピン戦争のすぐ後において、アメリカ統治が及ぼす「文明化」と、フィリピン諸島の天然資源の経済力との、その両方を目立たせることでした。伝えられるところによれば、それは博覧会場中で最も大きいなアボリジニ(先住民族)の特別展示でした。喜んだ観客の一人は語っています、「人間動物園の展示は、世界が進歩している時に足踏みする奇妙な人種の物語、そして、野蛮人がアメリカによって文明的な労働者に変わるという、物語をしめしていました」と。 Ota Benga, a human exhibit, in 1906. Ota Benga, 人間展示, 1906. The African Pigmy, "Ota Benga." Age, 23 years. Height, 4 feet 11 inches. Weight, 103 pounds. Brought from the Kasai River, Congo Free State, South Central Africa, by Dr. Samuel P. Verner. Exhibited each afternoon during September. __ a sign outside the primate house at the Bronx Zoo, September 1906.[5] アフリカ人のピグミー、「Ota Benga。」 年齢 23。 身長、4フィート11インチ。 体重、103ポンド。 南中央アフリカの自由国コンゴ、カサイ川から、 サミュエル P. バーナル博士によって連れてこられました。 9月いっぱい毎日午後に展示会されます。 __ ブロンクス動物園の霊長類館の外の自己紹介 1906年9月 In 1906, socialite and amateur anthropologist Madison Grant, head of the New York Zoological Society, had Congolese pygmy Ota Benga put on display at the Bronx Zoo in New York City alongside apes and other animals. At the behest of Grant, a prominent eugenicist, the zoo director William Hornaday placed Ota Benga displayed in a cage with the chimpanzees, then with an orangutan named Dohong, and a parrot, and labeled him The Missing Link, suggesting that in evolutionary terms Africans like Ota Benga were closer to apes than were Europeans. It triggered protests from the city s clergymen, but the public reportedly flocked to see it.[12][5] 1906年に、社交界の名士でありアマチュアの人類学者でもあるマディソン・グラント(ニューヨーク動物学協会の代表)は、コンゴの矮人の Ota Benga をして、ニューヨーク市のブロンクス動物園において、サルや他の動物と並んでの展示をさせました。 著名な優生学者であるグラントの命令によれば、動物園長のウィリアム・ホーナディは、 Ota Benga チンパンジーと共にケージの中に入れ、その後Dohongと名づけられたオランウータンと、そしてオウムと一緒にし、そしてオウムに「Missing Link」のラベルを貼ったのです。まるでOta Bengaのようなアフリカ人は、進化の概念ではヨーロッパ人よりサルの方に近いかのように。それは都市の牧師たちからの抗議の引き金となりましたが、伝えられるところによれば、公衆は見物に群れをなしたそうです。 Benga shot targets with a bow and arrow, wove twine, and wrestled with an orangutan. Although, according to the New York Times, "few expressed audible objection to the sight of a human being in a cage with monkeys as companions,” controversy erupted as black clergymen in the city took great offense. “Our race, we think, is depressed enough, without exhibiting one of us with the apes,” said the Reverend James H. Gordon, superintendent of the Howard Colored Orphan Asylum in Brooklyn. “We think we are worthy of being considered human beings, with souls.”[13] Benga は、弓矢で目標を撃ったり、より糸を織ったり、オランウータンと取っ組み合いをしました。 しかしニューヨーク・タイムズによれば、「檻の中にサルと共に人間を入れたキャンペインの光景に対して異論は殆ど聞かれない」とのことでした。でも、都市の黒人の牧師が強く攻撃して、論争は噴火しました。 「私たちは、私たちの種族がサルと共に展示されないとしても、これによって十分に侮辱されている。」と、聖職者のジェームズ・H.ゴードン(ブルックリンのハワード有色孤児保護院の監督者)は言いました。 「私たちは、人間であると考えられる賢明な生命であり、精神を持っているのです。」 New York Mayor George B. McClellan, Jr. refused to meet with the clergymen, drawing the praise of Dr. Hornaday, who wrote to him, “When the history of the Zoological Park is written, this incident will form its most amusing passage.” [13] ニューヨーク市長のジョージ・B.マクレランJr.は、牧師に会うのを拒否し、彼の為に書いたホーナディ博士の称賛文を引用していいました、「動物学公園の歴史が記されるときには、この事件は動物園における最も楽しい通過点として記されるだろう」と。 As the controversy continued, Hornaday remained unapologetic, insisting that his only intention was to put on an “ethnological exhibit.” In another letter, he said that he and Madison Grant, the secretary of the New York Zoological Society, who ten years later would publish the racist tract “The Passing of the Great Race,” considered it “imperative that the society should not even seem to be dictated to” by the black clergymen. [13] 論争は続きましたが、ホーナディは弁解しないまま、彼の唯一の意志が「民族学的な展示」にあると主張しました。 別の手紙では、彼は、彼とマディソン・グラント(ニューヨーク動物学協会の秘書)と一緒に10年後には人種差別主義の小冊子「偉大な人種の通過」を出版し、黒人の牧師によって「社会が指図されるようなことはあってはならないという規範」を語るであろう、と述べています。 Still, Hornaday decided to close the exhibit after just two days, and on Monday, September 8, Benga could be found walking the zoo grounds, often followed by a crowd “howling, jeering and yelling." [13] それでも、ホーナディは、2日後に展示を閉じると決めました、そして9月8日月曜日には、Benga が動物園の構内を歩いている姿を見ることができましたが、「遠吠えして、嘲って、叫ぶ」群衆たちによって、しばしば追いまわされたのです。 Legacy of human zoos 人間動物園の遺産 The concept of the human zoo has not completely disappeared. A Congolese Village was displayed at the Brussels 1958 World s Fair. [14] 人間動物園の概念は完全に消えたわけではありません。 1958年のブリュッセル世界博ではコンゴ人の村が展示されました。 In April 1994, the village of Ivory Coast was presented at African safari of Port-Saint-Pere, near Nantes, in France. [15] 1994年4月には、象牙海岸の村が、フランスのナント近くで開かれたPort-Saint-Pereアフリカン・サファリで展示されました。 An African Village was opened in Augsburg s zoo in Germany in July 2005.[16] In August 2005, London Zoo also displayed human beings wearing fig leaves (though in this case, the participants volunteered).[17] In 2007, Adelaide Zoo ran a Human Zoo exhibit which consisted of a group of people who, as part of a study exercise, had applied to be housed in the former ape enclosure by day, but then returned home by night. The inhabitants took part in several exercises, much to the amusement of onlookers, who were asked for donations towards a new ape enclosure. In 2007, Pygmy performers at the Festival of Pan-African Music were housed at a zoo in Brazzaville, Congo. [18] アフリカ村は、2005年7月ドイツのアウグスブルクの動物園で開かれ、2005年8月ロンドン動物園でも、イチジクの葉を着ている人間を展示しました(このケースでは関係者が買って出ましたが)。 2007年、アデレード動物園では人間動物園を開催しましたが、これは実験研究を担う人のグループで、昔のサルとして日中囲いの中で過ごしましたが、夜は家に帰りました。「生態実演者」は、新しいサル囲いのための寄付を求められる見物人の楽しみとして、様々な実演に参加しました。 2007年には、汎アフリカ音楽祭で「ピグミーパフォーマーズ」は、ブラザビル(コンゴ)の動物園で居住しました。 See also Anthropology Colonialism Freak show New Imperialism Scramble for Africa Zoo Abraham Ulrikab References ^ Mullan, Bob and Marvin Garry, Zoo culture The book about watching people watch animals, University of Illinois Press, Urbana, Illinois, Second edition, 1998, p.32. ISBN 0252067622 ^ Joice Heth ^ "On A Neglected Aspect Of Western Racism" by Kurt Jonassohn, December 2000, Montreal Institute for Genocide and Human Rights Studies ^ Roberto Aguirre, Informal Empire Mexico And Central America In Victorian Culture, Univ. of Minnesota Press, 2004, ch. 4 ^ a b "Man and Monkey Show Disapproved by Clergy", The New York Times, September 10, 1906. ^ On the 1931 Colonial Exposition in Paris ^ See Charles Dudley Arnold s photo of six men dressed in Native-American costume, in front and on top of a reconstruction of a Six-Nations Long House. ^ Anne Maxell, "Montrer l Autre Franz Boas et les soeurs Gerhard", in Zoos humains. De la Venus hottentote aux reality shows, Nicolas Bancel, Pascal Blanchard, Gilles Boetsch, Eric Deroo, Sandrine Lemaire, edition La Decouverte (2002), p.331-339, in part. p.333 ^ Cincinnati Zoo and Botanical Garden, Ohio Historical Society. ^ Jim Zwick (March 4, 1996). "Remembering St. Louis, 1904 A World on Display and Bontoc Eulogy". 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Available online at Science History Publications. Retrieved from "http //en.wikipedia.org/wiki/Human_zoo" 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
https://w.atwiki.jp/openaxel/pages/42.html
特集記事 ありません。 充実記事 ありません。 新着記事 カレンダー 7月 シーズン開幕 7月 (日本) 全国有望新人発掘合宿 8月-10月 ISUジュニアグランプリ大会 9月 ISUジュニアグランプリ大会 9月 カテゴリⅢ大会 10月 (日本) 地方ブロック選手権大会 10月 ISUグランプリ大会 10月 (日本) ブロック選手権大会 11月 (日本) 全日本ジュニア選手権大会 11月 ISUグランプリファイナル大会 12月 (日本) 国民体育大会 1月 (日本) 日本学生選手権 1月 (日本) 全国高等学校スケート選手権大会 1月 (日本) 日本全国高等学校スケート選手権大会 1月 ユニバーシアード冬季大会 1月 (日本) 全国中学校スケート選手権大会 1月 アジア冬季大会 2月 四大陸大会 2月 (日本) シンクロ大会 2月 オリンピック冬季大会 3月 世界選手権 3月 インターナショナルチャレンジカップ ニュース 2010/2/13(五輪)バンクーバーオリンピックが開幕。現地時間2月12日に開会式が行われる。 2010/3/28 世界フィギュアスケート選手権(イタリア・トリノ)は、バンクーバーオリンピック銀メダリストの浅田真央が、合計197.58点で金メダルに。 -産経新聞 過去の出来事 各月各日の記事から本日に当たる記事を表示しています。 主要記事 フィギュアスケート - フィギュアスケートの歴史 - フィギュアスケート競技会 - フィギュアスケートの採点法 - 国際スケート連盟 - 世界フィギュアスケート選手権 - ヨーロッパフィギュアスケート選手権 - 四大陸フィギュアスケート選手権 - ISUグランプリシリーズ - オリンピックフィギュアスケート競技メダリスト一覧 - フィギュアスケート選手一覧 - フィギュアスケート用語一覧 カテゴリ - フィギュアスケートの歴史 - フィギュアスケート用語一覧 - フィギュアスケートの要素 スポーツ - フィギュアスケート大会 - フィギュアスケート審判員 - フィギュアスケート選手 - フィギュアスケートコーチ - フィギュアスケート振付師 娯楽 - アイスショー - フィギュアスケートを題材にした作品 小説、映画、漫画 お知らせ(執筆者向け) 説明書 このポータルへの参加を歓迎します。ご要望、ご提案はノートへ。 特集記事 不定期更新。今のところ選出方法は決まっておらず、ある程度充実した項目を任意に紹介します。 ニュース フィギュアスケートニュースを書きます。書き方はニューススタイルやメインページの「最近の出来事」欄を参考に。ニュース、訃報とも5件程度を目安にしてください。 フィギュアスケートカレンダー フィギュアスケートに関する行事を書きます。 充実記事 現在は35キロバイト以上のものを掲載しています。フィギュアスケートと直接関係が薄い記事や一覧記事は除外します。 新着記事 フィギュアスケート関連の新着記事があったときに更新します。自分で投稿した場合や見落としがあった場合はどうぞご自由に追加してください。ここに掲載するかどうかは、各一覧を見て載せるのが適切か否かを判断して下さい。 移動記事 記事が移動された場合に掲載します。2ヶ月くらいたったら消します。 主要記事とカテゴリ 基本的な記事へのリンクです。抜けているものがあったりバランスが悪かったりすれば調整してください。ノートで議論しましょう。 カテゴリ カテゴリを載せています。フィギュアスケートのカテゴリはまだ発展途上ですので、はっきりとした位置づけは決まっていません。 依頼 今のところ査読、翻訳、加筆、執筆依頼がありますので、適宜に依頼したいものの追加、済んだものの除去をしてください。
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阿含宗 阿含宗で使われる用語(仏教用語も含む)
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Vikipedia文献正統性論争 提供 Vikipedia 移動先 案内、検索 Vikipedia文献正統性論争 年月日:2017年9月17日~ 場所:新規コテと名無しを優遇する雑談スレ 結果: 交戦勢力 スレイマン一世ゴッドブレス 小説王になる男モルモーロ その他穏健派コテ 戦力 500レス~ 600レス~ Vikipedia文献正統性論争(ヴぃきぺでぃあぶんけんせいとうせいろんそう)とは、2017年9月以降に行われといる論争のことである。 概要 新規コテと名無しを優遇する雑談スレパート249の終わりも間近というタイミングで、スレイマン一世がライオンゴロシの乱の記事を編集・加筆をした旨をスレで報告する。 直後、安富パーキングが編集された文面に違和感を抱き、TimeFiresや小説王になる男が記事の内容が大袈裟すぎると指摘した。 最初こそ記事の内容についてレスバトルであったが、小説王になる男のレスは、次第に記事についてではなくスレイマン一世個人への批判へとシフトしていった。 これは小説王になる男は以前からスレイマン一世の編集した記事(もしくは記事のURLをスレに貼付する行為、またはその両方)に対して少なからず不快感を抱いていたのが理由のようで、これを機に爆発してしまったのだ。 残り少ないレス数で事態が収拾されるわけもなく、次スレであるパート250に持ち越されることとなる。 展開 次スレパート250が立ち、序盤からゴッドブレス、モルモーロなどが参加。ゴッドブレスはスレイマン擁護のスタンスを取る。小説王になる男やモルモーロは、スレイマン一世がネタで言ったと思われる「コテハンを引退する」という趣旨のレスのコピペを連投する。 特に小説王になる男は「俺も好き勝手にスレイマンボコり続ける」という不穏なレスを残す。 対してスレイマン一世らは真面目系コテへのdisりで対抗する。 平行線を辿る互いの対応によってスレは不毛な流れとなる。だがスレイマン一世がフェードアウトするとともに、次第にスレは煽りあいから普段の雑談へ移り、 300も行く頃には普段の様相を取り戻していた。 発端のレスから24時間が経過しようとしたとき、スレイマン一世が顔を出すと3分程度で小説王になる男がコピペを行う。 そこからは煽りを含めた小競り合いが続く。多対多から一対一への形でも両者ともに譲らず、かといって決定打も放てず議題を逸れた争いは陳腐化していく。 その後 ねこななし。や抜化忍が実況風レスをする中、小説王になる男はコピペ連投を続行。対してスレイマン一世はネタレスによるスルーを決め込む。 スレが普段通りの盛況さになる中でキテルグマがコピペ連投に参戦。実況風レスは、やや小説王になる男寄りに傾き、またしてもスレイマン一世はフェードアウトした。スレイマン一世がスルーし続け世論を味方につけるか、小説王になる男のコピペが他を同調させるかが今後の展開のカギとなるだろう。 だが両者ともにマンネリの気があり、着地点を見出せぬまま自然消滅していく可能性が高い。
https://w.atwiki.jp/uhuhu/pages/112.html
C言語 標準Cライブラリabs atof atoi atol fgetc fgets fputc fread fwrite getc gets malloc memset printf putc rand scanf strcat strcmp strcpy strlen time_t GCC BCC TC Cygwin MinGW
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Wikipedia編集合戦の裏 553 :お前名無しだろ:2009/10/04(日) 13 03 50 ID b4/rKbYt0 wiki改ざんの開き直り。 ノアが再発防止の発表が無い事実の証拠出せってw 証拠が残る公開討論は一切したくなくネチネチと個人宛に聞いてきます。 http //ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1 203.165.219.186 diff=cur 三沢光晴について [編集] こんにちは、廉と申します。三沢光晴における、「ノアからの再発防止についての公式発表は無い」という記述に 関してですが、このことについて触れている文献が存在しない場合、それは203.165.219.186さんの独自研究と いうことになると思われます。「発表がないことをを証明してください」と言っているのではなく、「発表がないことに ついて言及している文献を示してください」とお願いしているわけです。--廉 2009年10月2日 (金) 16 50 (UTC) 意味不明ですね、独自研究ってw ソースはノアの公式HPに追悼興行はやるけど、対策防止策が載っていない 事。 ノアが再発防止対策やっているソースを出せば終わる話ですよ。 興行会社で人が死ねばそれなりの事する のが社会常識です。 難癖つける前に再発防止対策の実例を出して下さい。ソースはノアの公式サイト。 後、 こういう個人向だけ宛ては止めましょう。 書くならノートに堂々と記録に残して下さい。 ノートで議論することに異論はありませんが、その前にここではっきりさせておかなければならないことがいくつかあります。 まず、独自研究が意味不明というのはWikipedia 独自研究は載せないに書かれてあることの意味が理解できなかった ということなのか、独自研究という概念を受け入れることができないということなのか、どちらでしょうか。 --廉 2009年10月4日 (日) 02 16 (UTC) 続く 554 :お前名無しだろ:2009/10/04(日) 13 05 23 ID b4/rKbYt0 続き だから、ソースはノアの公式サイト。 何についてのソースがノアの公式サイトにあるとおっしゃっているのか、よくわかりません。 --廉 2009年10月4日 (日) 03 07 (UTC) もし「ノアの公式サイトを見れば対策を行っていないことが分かる」とおっしゃりたいのであれば、それは「発表済みの 情報の個人的分析」に過ぎず、独自研究ということになると思います。そこで話がもとへ戻るわけですが、あなたが 独自研究が意味不明とおっしゃっているのはWikipedia 独自研究は載せないに書かれてあることの意味が理解 できなかったということなのか、独自研究という概念を受け入れることができないということなのか、どちらでしょうか。 --廉 2009年10月4日 (日) 03 14 (UTC) 時間の無駄公開でやれ。 ノアが追悼興行はやるけど、再発防止していない事実を議論するのを何故公開で やらないのか? あなた個人の独自研究に関する見解を伺いたいので、まずはここでそのことを明らかにしてからノートでの議論に 移った方が良いと思うのですが。それとも、ノートであれば独自研究に関する見解をお聞かせ頂けるということで しょうか?--廉 2009年10月4日 (日) 03 54 (UTC) 既に回答済み。 都合の悪い議論を表でやりたくないという人間とは会話をする義理は無い。 555 :お前名無しだろ:2009/10/04(日) 13 07 25 ID b4/rKbYt0 感想:こっちは、wikiのノートに証拠が残れば勝ちだから適当に流すよw しっかし、独自見解ってw してない事の出展てw 所属選手で「ヘビー」と「ジュニア」と分けてた時もあったよね。選手層も薄くいい加減いい加減なクセして。「ヘビー」の方に丸藤を入れたかっただけだろ。インチキヘビーの明らかにジュニアの馬鹿禿を。 -- 名無しさん (2021-03-22 17 21 06) 名前 コメント
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概念(がいねん)・コンセプトとは、物事の総括的・概括的な意味のこと。ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。 その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現している。 また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。 コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出来事の間の違いを省き、物事・出来事の間に共通する大要、要約、見解、イメージ、つまりは「普遍的概念」となる。 このコンセプトは、実在の出来事や事件、物事の関係を種類に分け、分類化し、カテゴライズし、クラス分けをするのに貢献する。 またコンセプトは、文脈の中の要素になっている場合「提案、提議、申し出、計画、命題」(の要素)を意味する。 概念は人間の精神内部に存在する何かであり、抽象的、 普遍的なものである。 精神外部の世界に存在するものや、出来事や、 それらの関係について概念が存在する。 ひとつの概念は個々の事物というよりも、 事物の集合に対して存在する。 概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、 それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。 概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。 例として「犬」という概念を挙げる。概念としての犬は、個々の犬ではなく犬の集合に対して存在する。実際には白い犬もあれば黒い犬もあるが、それらの相違点を無視して同一であるかのように扱うので抽象的である。また、例えば4本足であり、尻尾があり、哺乳類であるといった概念としての犬に当てはまることは個々の犬すべてに当てはまるという意味で普遍的である。 概念は意味の担い手である。一つの概念は複数の言語で表現することができる。 「犬」という概念はドイツ語では Hund と、フランス語では chien と、 スペイン語では perro と表現される。 概念がある意味で言語とは独立したものであるということが、翻訳を可能にする。 つまり、同一の概念を表す様々な言語の言葉は「同じことを意味する」 名辞 言葉が文の要素であるように、概念は命題の要素である。 概念が言葉で表現されたものを名辞(めいじ)という。ひとつの命題として 「AはBである」 とした場合に、「A」を主辞、「B」を賓辞という。 特に抽象名辞(抽象概念)は、言語や数字や記号で現実世界を表す。または現実にないものをあるものとして存在させるために 表現する手段である。 参照:言葉、意味、文化、論理学 作品の概念・コンセプト 人の手による絵画・書画・曲・文芸等の作品は、作者がその作品に込めた意図・意匠・目的・思い等の概念を有し、これを表現しており、「作品のコンセプト」等と言われている。又、受け手の感じ方によって新たな概念が付加される場合があり、作品に接する時代性や社会的価値観などの変化に伴って変わる。 芸術における概念(抽象概念)は、心で感じ取ったものを2次元(絵画)、3次元(立体彫刻など)で表現したものといえる。音楽も同様で、心で感じ取ったものを楽器の音、人間の声を構成して表現している。写真はそのときの作者(撮影者)の心情と場面をその瞬間の調和で作り上げる即興的芸術ともいわれる。 言語概念と子供の発達 概念は、体内期から形成が始まるといわれている。まず、感覚的に世界を捉える「感覚概念」5感を複合的に利用して外界の物事を理解する。胎児期の5ヶ月目には、聴覚が働きはじめる。9ヶ月になると、大きな音がするとびくっと反応して、母親に驚いていることを伝えるようになる。繰り返し見ることができる、聞くことができる場面にまず音声として認識され、あとから言語として認識されていく。それを反復すると第1段階のコミュニケーションを始める。2歳前後から急速に他者とコミュニケーションをすることがさらに楽しくなり、意味を含んだ言語をまちがいながらも使うようになり、コミュニケーションの段階が進む。例えば、ある子供の例では「抱っこして」が「大きい抱っこして!」に変化する。立って抱っこして欲しいの意味であるが、5歳の兄弟から「タッチ抱っこやろ」と指摘されると、「立っち抱っこ?」(立つ意味)と半信半疑で使いはじめる。 認識した既存の言語を用いながら、形容詞をあれこれつないで積極的に使おうとする。通じることが少ないとかんしゃくを起こして、違うと訴える。疲れているとさらに泣き出す。こうした過程を通じて、子供は、自分の持つ言語体系を身近な世界で異化させていく。 数の概念は経験に比例する。小学校で算数セットが各家庭で購入されているか、学校のものとして使われているかで大きく概念形成がかわると思われる。前者の方が数の概念が身につきやすい。内語と外語の違いに似ている。 関連項目 発想